若手落語家に研鑽の場を提供して10年~そば処 弁慶(神奈川県横浜市)~
若手落語家に研鑽の場を提供して10年
そば処 弁慶 (神奈川県横浜市)
取材/佐々木美香(サリーズ)
■立地で人が集まるのではない
神奈川県横浜市のとある蕎麦屋で、10年も続く落語会が開かれている。
2014年2月の第100回記念公演では三遊亭兼好、桂かい枝という東西の人気噺家が顔を揃え、昼・夕の第二部であわせて140人以上の観客で店内がひしめきあっていたという。
駅前ではない、繁華街でもない、ごく普通の住宅街の蕎麦屋で、向かいは大手スーパーと中学校という立地。公共交通機関で訪れようとすれば、駅からバスを使わなければたどりつかない、地域に密着した個人経営の店だ。
そんな普通の店に、なぜこれほど人が集まるのだろうか。
第101回目の栄にぎわい寄席を訪れた。
■有志のサポートで蕎麦屋が芝居小屋に
会場は横浜市栄区の「そば処 弁慶」。店のご主人は柳沼榮一さん。そば職人の修業を経て30代で店を開いたのが昭和57年。以来30年、この地で営業を続けている。
四人掛けの椅子席6、小上がり4の10席という規模の店内は、昔ながらのごく普通の蕎麦屋そのものだ。最近の飲食店によくある昼の営業休みはなく、開店から閉店まで店は営業しているが、寄席の開催日は午後2時には店を閉めて、準備を始める。
筆者が訪れたのは、この時間少し前。食事を終えたお客様が席を立つと、いつの間にか集まっていた手伝いの男性数人が、席を動かし椅子を並べて、小屋づくりを始めた。
電気製品に目隠しを施し、屏風を出して、座卓に緋毛氈をかけ厚い座布団を乗せたら、高座のできあがりだ。
小屋づくりをするのは、栄にぎわい寄席を企画・実行する有志の「寄席サロン会」の皆さん。慣れた様子でテーブルを動かし、椅子や座布団を広げていく。テーブルをいくつか外に出して受付を作り、店頭には紅白の提灯を下げて準備を整えると、ひとり、ふたりとお客が集まり出した。
(写真
左:テーブルは壁側に寄せ、入りきらないものは店前に出して受付台にする
中:小上がりには座布団の席もあるが、膝の悪いお年寄りには椅子席が好評だそうだ
右:店前に提灯をぶらさげて雰囲気づくり。サロン会のメンバーが大活躍)
この日はあいにく冷たい雨で、16時からの第一部は客数20人、18時からの第二部は40人ほどだった。
「こんなに(お客の)少ない日に取材しなくても良かったのに」と寄席サロン会の大塚さんが笑顔で声をかけてくれた。大塚さんは寄席サロン会の次期代表に内定しているメンバーだが、もともとは落語好きな寄席の常連客。なんとなく小屋の設営や片づけを手伝っているうちに、メンバーになってしまったそうだ。
お囃子の流れる店内はすっかり寄席の雰囲気になり、現在サロン会代表を務める藤間さんとメンバーが、来客を席へ誘導している。
■修業中の若手落語家を地域で応援
大塚さんら2人が受付に座っていると、「こんにちは」と声をかけあいながら客が続く。
受付ではノートを開いて、客の出席簿をつけている。栄にぎわい寄席は会員制度があり、会員数は106人を数える。’出席簿’は会員の来場記録だ。
もともとは弁慶のご主人・柳沼さんと有志の集まりが、三遊亭王楽の応援道場として始めたもので、平成16年に第1回「弁慶にぎわい寄席」として開催したのがきっかけだった。第7回より有志の集まりは「寄席サロン会」となり、横浜市栄区の「栄区学びあいと支えあいのまちづくり推進事業」の事業団体として認定された。以降、近隣の自治会掲示板や回覧板などを利用して地域へ宣伝を進め、店の規模をはるかに超える100人以上の会員を獲得するに至った。
知名度が高まり、地域外からの来場者も増加した現在では、各周年記念公演になると真打や有名落語家が演者に名を連ね、毎回150人以上の来場がある。こうなると弁慶の店内では収まりきれず、ホールや公会堂に会場を移して開催されるほどのにぎわいを見せている。
■客の厳しい視線に磨かれる立場とは
記念公演で高座を務める真打や有名落語家は、若手の頃から弁慶で上演を重ねた、いわば「卒業生」。店主の柳沼さんも「真打になったら、うちは卒業」と言う。それでも「出世すればちゃんと恩返しに地域の高座にも上がってくれる。これが日本の伝統芸能の良い所で、応援したいと思っています」と続けた。いろいろなエンターテイメントのある中で落語を選んだもう一つの理由は、高齢化が進む地域の中で、お年寄りでも歩いて来られる場所にふさわしい、楽しいものをと考えたからだそう。
こうして、若手芸人には研鑽の場を、高齢者には集いの場を、笑いでつなぐ要(かなめ)の場として店を提供し続けて来た。
(写真:落語家さんは写真向かって左手奥から登場する。お囃子が流れていよいよムードが高まる店内)
サロン会のメンバーが小屋づくりをしていた時、柳沼さんは店の従業員3人と共に、20人分の弁当を作るため厨房にこもっていた。18時から始まる第二部の公演には人数限定で食事付きのチケットがある。公演終了後は再び店を蕎麦屋の設えに戻して、食事ができるのだ。先ほどまで高座に上がっていた若手落語家も食事客の席にあいさつに回ってくるのだから、落語好きにはたまらない会だろう。
「この地域は高齢者とは言え、元学者や知識人、文化人の住人が多く、見る目が厳しい。若手芸人も鍛えられますが、食事も値段通りのものを出したら納得してもらえないのが大変なところ」と苦笑する柳沼さん。逆に嬉しいことは「みんなの笑顔が見られること」。質問を続けていたら「あんまり(自分のことを)書かないでよ」と厨房の奥に引っ込んでしまった。いかに取材とはいえ、飲食店の聖域に踏み込んでコメントを求めるわけには行かない。
柳沼さんと長年の交際があり、落語家のマネージャーを務める小澤茂美さんがこの様子を見ていて、筆者に話しかけてくれた。「怖そうな顔をしているけれど、社長はすごい照れ屋だから。面倒見のいい、温かい人です。従業員も昼から準備のために来ているし、食事は値段以上の内容で、儲けにならないのに続けてくれる」。場を提供しながら自身はあくまでも陰から支える側に回る、その心意気に人が集まり、会を盛り上げて来たのだろう。
(写真:落語がはねたあと、食事を楽しむ店内。酒の注文もでき、ひとりで来てもまわりの人と話が弾む。ここから新しい人の輪が生まれることも)
この日の落語家は地元横浜出身の二ツ目・立川志の八と、6月に二ツ目昇進が内定している春風亭一力。
「前回の100回目でもう終わりかと思っていたら、まだやるんですね」と志の八が枕で振れば、101回目の開催を喜ぶように、素直な笑い声が客席からドッと上がった。
そば処 弁慶
横浜市栄区桂台南1-9-1グランボア 1F
電話045・893・3600
寄席サロン会問合せは午後2時~7時まで
立川志の八 公式サイト
http://www.shinohachi.com/
【ライタープロフィール】
佐々木美香
出版社勤務、フリーライターを経てコンテンツ企画制作事務所「サリーズ」設立。
国内旅行ガイド制作のため、関東近郊の飲食店取材を重ねる。東京都在住。
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